2019/12/06

あきた美人

 師走になりました。あっというまに一年が過ぎようとしています。

 思い起こせば、今年も色んな事がありました。電子カルテの導入、デイケアとカウンセリングルームの増設、依存症ミーティングの開催、納涼祭に健康を考える集い、陸上部の発足、東棟の排水管工事、敷地内禁煙に禁煙外来の開設等々。ここにすべて書ききれません。

 <来年も職員一丸となって医療サービスの向上に努めたいと考えております。どうか引き続き当院をご愛顧いただきますようお願い申し上げます>

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 失礼ですが、私は自分の気晴らしを兼ねてこのコラムを書いています。今回、選んだテーマは「あきた美人」。ちょっとお付き合いください。

 この「あきた美人」という言葉。大変有名ですが、実際どんな顔を指すのか、はっきりしていません。一般的に「あきた美人」といえば、秋田県出身で美人な方をいいますが、厳密にいうと<秋田特有の顔立ちで美人な方>をそう呼ぶべきでしょう。また、どうして秋田に美人が多いのか、それも謎です。日照時間が短いからというのはやや説得力がありますが、それだけでは説明がつきません。やはり気になるのは、蝦夷(えみし)やアイヌあるいは白人種との関係を指摘した意見です。

 そこでまずは奈良時代に遡り、「あきた美人」の由来を探っていきましょう。
和人が本格的に秋田に進出してきたのは奈良時代から。当時、東北の住民は「蝦夷(えみし)」と呼ばれていました。朝廷からみて、自分たちの支配権が及ばない住民を差別してそう呼んだのです。

 秋田城(寺内)は奈良時代にできた城です。そこに行くと当時のことがよく分かります。例えば、朝廷が蝦夷に対し戸籍に入るよう勧めていたことや、中国・北朝鮮・ロシアにまたがる渤海国と交流があったことなどが記されています。

 ややこしいのが「蝦夷」・「アイヌ」・「縄文人」の関係です。まず「蝦夷」と「アイヌ」に関してですが、両者はイコールではありません。蝦夷の中にアイヌが混在していたのだと思われます。江戸時代、北海道の日高地方で和人とアイヌ人が戦いました。有名な「シャクシャインの戦い」です。当時の記録によると、津軽藩のなかでアイヌ語を話せる者が偵察に派遣されています。ということは、隣県秋田にも以前はたくさんアイヌ人がいたと考える方が自然です。次にアイヌ人と縄文人との関係ですが、両者のDNAは一致率が高く、アイヌ人は縄文人の末裔と考えられています。

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 よく知られていることですが、今の日本人は縄文人と弥生人がミックスしたものです。縄文人と弥生人は奈良時代よりずっと前から交わってきました。そのため奈良時代に蝦夷と呼ばれた人たちは、縄文人だけでなく弥生人の形質も有しています。元々蝦夷の長であったことから縄文人と推測されていた奥州藤原氏も骨格的には弥生人と推定されました。

 日本人の中には、縄文人顔の人もいれば、弥生人顔の人もいます。例えば、西郷隆盛さんの肖像画と高杉晋作さんの写真を並べて、前者が縄文人顔、後者が弥生人顔と評されたりします。しかし、ここがまたややこしいところですが、「縄文人」といっても南方から来たグループと北方から来たグループがあり、風貌が異なります。おそらく西郷さんは南方(台湾あたり)から移動してきた縄文人の末裔でしょう。ポリネシア人とも似ている気がします。南九州や沖縄では珍しくない顔ですが、同じく縄文色が濃いとされる東北ではまずお目にかからない顔です。

 逆に北側の縄文人はというと、種族にもよると思いますが、現代人とさほど顔がかわりません。4000年近く前に礼文島にいたとされる縄文人の顔を、DNAを用いて復元したところ、どこにでもいそうな顔でした(YouTubeで確認して頂ければ幸いです)。

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 私が思う「あきた美人」とは、目がクリッとしていて二重まぶた、虹彩は薄く、色白で頬が赤くなりやすいタイプです。彫は深くありません。目、まぶた、虹彩色は縄文人タイプですが、縄文人の特徴とすべて合致するわけではありません。場所的には県南、十文字あたりに多い気がします。今回、ネットでアイヌ人の写真を何枚も眺めていましたが、イメージする「あきた美人」とは重なり合いませんでした。また先ほど述べた礼文島の縄文人とも似ていません。

 とすると、白人種との関係も疑いたくなります。仮にそうであれば「色の白さ」も説明しやすくなります。肌の色は、かならずしもメンデルの法則に従いません。またJCウィルスの研究において秋田県や青森県西部でヨーロッパ人の系統と近いタイプのものを認めたとの報告もあります。そしてもう一つ忘れてならないのは、いかにして「秋田びじん」が受け継がれたかという観点です。それにはちょうどよいタイミングで律令国家になったことが影響しているのではないでしょうか。国になったことで、人々は戸籍に入り、土地を割り当てられ、土着して暮らすようになりました。すなわちDNAが保存されたわけです。

 以上をまとめますと、様々な血が絶妙に「混ざり合ったこと」と、絶妙に「保存されたこと」が「秋田びじんの誕生」に影響しているものと思われます。

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 さて、もう少し空想を書き足したいところですが、字数がきてしまいました。今年はこれが最後のコラムです。一年間、『院長あいさつ』をご愛読いただき誠にありがとうございました。

 来年が皆様にとって幸多き年になりますよう心よりお祈り申し上げます。

令和1年12月6日 院長 松本康宏