2020/02/25

別れ

 皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 先日、さきがけ新聞の社説を読んでいると、「里親制度」のことが書かれていました(2020.2.16)。「里親を増やすには、もっとアナウンスが必要」とした内容でした。
 虐待などが理由で親と暮らせない児童の大半は施設で生活をしています。施設と里親、一概にどちらが優れているとはいえません。ただ、里親の方が「より家庭的」との意見は多く、諸外国と比較しても日本は里親の割合が低いことから、国や県も本腰を入れ始めたというわけです。
 里親について考えると、思い浮かぶのは『赤毛のアン』です。これは、アンの成長物語。孤児のアンが血のつながらない親(独身の兄妹:マシューとマリラ)に育てられる話です。
 アンは成長して、地元の学校の教師になります。それは年老いて目が見えにくくなったマリラを想っての決断でした。これはアンの選択であり、「覚悟」です。親の犠牲ではありません。
 親にとって子どもの成長は「嬉しい面」と「さびしい面」があります。
 実は人生の中で「親子の別れ」は何度も訪れます。初めの別れは子どもが小学校高学年の頃。その時期、改めて子どもを観察すると、親は愕然とします。いつのまにか成長していて、自分との距離が開いているからです。子どもは幼いながらも一人の人間として歩み始めています。親に頼ろうともしません。自分や仲間内で物事を解決しようとします。すぐに駆け寄ってきたり、何でも喋ってくれる昔の姿はありません。もはや「かわいい、かわいい」といって抱きかかえていた頃の子どもではないのです。
 子どもが幼い頃、多くの親は社会人としても新米です。だから、業務を割り振りする裁量権もありません。覚えないといけない仕事もたくさんあります。それゆえ子どもと関わる時間を充分取れない親もたくさんいます。
 そういった親の中には、仕事に慣れた頃に、「これからは育児に時間を回そう」と考える人もいます。しかし、子どもが小学校高学年ともなると、「時すでに遅し」といった感が否めません。親のペースで子どもと関われる時期が過ぎているからです。
 次の別れは、高校生~大学生の頃でしょう。その時期、実際、親元を離れる子どももたくさんいます。子どもも深いところでは、別れに対する「つらさ」を感じています。しかし、ずっとこのままでいるわけにはいきません。すぐそこまで、自分が親になってもおかしくない時期が来ています。そのため、中には突っ張ってでも親とのつながりを断とうとする子もいます。親は黙って見送るしかありません。
 その次の別れは結婚です。これは発達過程というより社会的儀式です。
 最後の別れは、親の死。もう会って話をすることはできませんが、子どものこころの中に親は生き続けています。だから、別れを何度経験しても、「永遠の別れ」など親子には存在しないのかもしれません。
<追伸>
 現在、新型コロナウイルスが蔓延しています。このウイルスはインフルエンザより危険です。感染しやすい場所への外出はできるかぎり避けましょう。どうか、ご自身が感染しないよう、また、ご家族や周囲の人に感染を拡げないようご注意くださいますよう重ねてお願い申し上げます。
令和2年2月25日 松本康宏