2021/11/16

自由と不自由

 みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

 今年も残りひと月となりました。振り返ってみると、昨年同様、コロナに振り回された一年でした。

 実をいうと当院は、コロナがはやる前、「ひきこもり」の問題に取り組もうとしていました。実際、そのための集いも計画していたのです。それがコロナのせいで、逆に「ひきこもろう!」という時代になってしまいました。でも、来年は違います。「集い」も行いやすくなります。ぜひ、来年の取り組みに、ご期待ください。

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 最近ふと、次のような考えが浮かびました。それは、ひきこもりと依存症は、「似ているのではないか?」という考えです。

 共通項ならいくらでもあげることができます。①トラウマを抱えている人が多いこと ②初めは心地よくても、段々苦しくなってくること ③自由なようで、実は極めて不自由なこと ④家族を巻き込みやすいこと ⑤あきらめモードに入っている人が多いこと ⑥気晴らしが苦手な人が多いこと ⑦グループワークが有効な人が多いこと ⑧つながりが必要であること・・・などです。

 さて、この説が正しいかどうかは別にして、私が次にひっかかったのは、③の<自由なようで極めて不自由>という点です。精神科において、患者さんが、自分らしく生きることや、精神的に自由になることは重要なテーマです。しかし考えてみると、これまで私は、自由とか不自由について、頭の中で整理してみたことがありません。そこで今回は、その作業をしてみようと思いました。

 まず、自由より先に、『不自由』について述べます。

 私がよく接する不自由は、以下の3つです。
 (1)親や社会から植え付けられた価値観のために、「自分らしく生きることができない」という不自由。
 (2)自信を失って、動けなくなってしまった不自由。
 (3)自分の欲望や衝動をコントロールできない不自由。

 ひきこもりの人に認めやすいのは(2)の不自由。一方、依存症の人に認められやすいのは、(3)の不自由です。ただ、よく考えてみると、(3)の不自由は、誰もが持ち合わせているものかもしれません。

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 次に『自由』について。

 行きたいところに行けて、食べたいだけ食べることができ、欲しいものが何でも手に入る、これも自由といえば自由です。しかし世の中には、もっと別な自由が存在します。

 それは、欲望を抑えた、「意志の自由」です。「仕事に行きたくないなぁ」と思っても、自分のため、家族のためを思って、職場に向かう・・・、これは意志の自由です。自分を奮い立たせて、気が乗らない日も勉強をする、これもまた意志の自由でしょう。この点では、依存症も同じです。意志を強く持とうとしても、飲酒量等をコントロールすることはできませんが、「治療を続ける」「病気を克服する」といった意志の自由は必要です。

 私は、こういった「意志の自由」にあこがれます。なぜなら、私自身、(3)の「欲望をコントロールできない不自由」を抱えているからです。

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 以上をおさらいすると、①不自由にも色々ある ②程度の差こそあれ、多くの人が不自由を抱えている ③自由も一種類ではない、といったことになりそうです。

 不自由をすべて消し去るのは不可能と思われます。でも、「不自由」を少し減らして、その分「自由」を増やすことは可能でしょう。みんなで声をかけあって、励まし合いながら、自由を増やす工夫をしていきたいと考えています。

令和3年11月16日
院長 松本康宏