2020/04/03

依存症あれこれ

 皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 先日、『痴漢外来』(ちくま新書:原田隆之著 )という本を読みました。いぶかしいタイトルですが、内容はいたってまとも。「性依存」について書かれています。

 これから依存症の勉強を始めてみようと思われる方。その方に一冊だけお勧めするとすれば、私は『薬物依存症』(ちくま新書:松本俊彦著)をあげます。著者の松本俊彦氏はこの分野のオピニオンリーダー。また、国立精神神経センターに勤務されていることから、国の政策にも関与されていると思われます。

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 今回はこの『痴漢外来』と『薬物依存症』を教材にして、皆さんと一緒に「依存症」について考えていきたいと思います。

まず、『痴漢外来』の著者は、治療を次のようにまとめています。
① 性的問題行動のハイリスク状況を同定し、それに対するコーピング訓練を行う
② ネガティブな感情への対処法を訓練する
③ 規則正しい生活を送る
④ 自己モニタリングを通して、自己の状態に敏感に気づくことができるようにする
⑤ 渇望へのコーピングを学習する
⑥ ゆがんだ性的認知や性への期待を修正する
⑦ 代替行動の学習を行う
⑧ 周囲のサポートを活用できるようにする

 以上のアプローチは「性」依存症に限ったものではありません。他の依存症とも共通するものです。下にいくつかその例を挙げます。

 ⑤の中に <何か十五分以上集中できる別の行動を開始する。たとえば、家族に電話をかける、メールする、携帯のゲームをする、目を閉じて深呼吸や瞑想をする、運動するなどがある。なぜ十五分かというと、どんな渇望も生理的には十五分も続かないからであるP151> と書かれています。しかし、こういった対処は、過食をしたくなった際や飲酒をしたくなった際、あるいは自傷をしたくなった際にも用いられます。

 <当初は性的な興味・関心から性的行動を行っており、性的快感を得ることが目的であった。しかし、次第にその快感も薄れ、むしろストレスや孤独感を紛らわせたり、スリルを味わったり、自尊心を回復したりするための手段として、性的行動を繰り返すようになっていた。P041>としたことも書かれています。この点も他の依存症と同じ。快感を得られなくなってもやめることができないのが依存症の特徴です。

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 「薬物依存」を病気とみるか犯罪とみるかは、人によって意見が異なります。「依存症といっても、覚醒剤や痴漢行為は法律違反。だから刑罰で対応すべき」とした考えもまちがいとは思いません。

 しかし、『痴漢外来』の著者は次のように主張します。

 <「痴漢は犯罪か、病気か」という二者択一ではなく、犯罪であることは当然の前提として、そのうえで病気という視点も加えるべきだと提案しているだけである。つまり、「犯罪でもあり、病気でもある」という主張である。P060>。

 私も著者と同意見です。ただ、病院に入院するか、刑務所に入るか、二者択一を迫られることも実際には起こり得ます。その点が少し気になりました。

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 依存症の「啓発活動」にも触れておきましょう。

 松本俊彦氏は、従来の薬物乱用防止教育が一定の成果を上げていることを認めた上で、 <薬物乱用防止教育は、「こういう悪いことはやっちゃダメ」という道徳教育ではなく、「こういう障害があり、それを予防するための方策が必要だが、万一、その障害を抱えた場合にはちゃんとした回復の手立てがある」という健康教育、メンタルヘルス教育として行われるべきだ、P319>と主張されています。

 しかし、道徳教育も必要ではないでしょうか。

 例えば、若い人が外国に留学し、日本人の仲間とつるむようになった状況を想像してみて下さい。そのうち仲間が「マリファナくらい、いいじゃん。見つかったって強制送還されるだけだろ」といって勧めてきたとしましょう。そういった場合、メンタルヘルスの思考だけで抑えが利くでしょうか?

 確かに薬物の危険性を強調し過ぎると、依存症に陥った人に対する差別も強まります。だから、最近は従来の防止教育に否定的な立場を取る人が増えています。しかし、今もって依存症の治療は簡単ではなく、一旦依存が形成されると苦難の道が続くことも事実です。そういった現実を踏まえると、道徳教育を否定する気にはなれません。

 ただ、池で溺れている人(依存症になった人)を棒で叩くような行為はいけません。加えてこの国が「失敗した人にもっとチャンスを与える国になって欲しい」とも思います。

 先にも述べましたが、依存症の問題に関しては、人によって意見が異なり、どれが正解というわけではありません。だからこそ、勉強をして、最適な方法を見つけていく姿勢が求められているのでしょう。

令和2年4月3日 院長 松本康宏