2020/10/09

遊び

 皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

 今回のテーマは、「遊び」です。

 大人になってから、私はあまり遊んでいません。子育てと仕事で精いっぱいだったからです。しかし、今年はコロナの影響で院外の仕事がほとんどなくなり、空いた時間を使って、釣りをしたり、登山やキャンプを始めたりしています。

 この歳になると、仕事をしていて、自分が向上している感じがなかなか得られません。その点、釣りは違います。「あの場所がいい」とか、「道具はこっちがいい」とか、日々、レベルアップしている自分に気付きます。しかし、こうした「生産的な発想」は、遊びの本質から外れているのかもしれません。日がなウキを眺め、釣れても釣れなくてもお構いなし。ましてや「今夜のご馳走に」等と考えないのが、「究極の釣り(遊び)」なのだと思われます。

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 遊びは物心がつく前から始まります。

 赤ちゃんを観察すると、遊びの「始まり」とその後の「展開」が見て取れます。クーイング(単音を伸ばす発声)が喃語になり、喃語を用いて親と遊び始めるのが、一つ目の大きな展開。すなわち、「二人遊び」の始まりです。それからまたしばらくすると、今度は道具を用いるようになります。いわゆる“ガラガラ遊び”です。この2つのステップを踏んで、遊びは爆発的に発展していきます。

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 次に「漢字」を用いて、「遊び」を探っていきましょう。

 遊ぶという漢字は、「斿(ゆう)」という字から派生しています。単純に考えると、「斿(ゆう)」という字は、幼子がウロウロしている姿を示しています。そこに「シンニョウ(ゆくという意味)」が加わったことで、「遊」は子どもの行動範囲が広くなったことを示していると思われます。

 それに対し、漢字の第一人者である白川静さんは、次のように解釈しました。<「斿」という字は、人が旗を持っている姿。古代、自分が所属する集団を離れ、外へ出て行くには非常に勇気がいりました。そこで先祖の霊(守護霊)が宿った旗を持ち、外に出かけて行ったのです。だから、漢字の「遊」とは、神々の彷徨を意味している>とした解釈です。

 こういった白川氏の解釈はすごいとしか言いようがありません。しかし、それはそれとして、遊びの多くが、偶然やってみたら、楽しかったり、面白かったりした体験から生まれてきたのはまちがいないでしょう。さらにその楽しみを他人と共有したいという心情が、「遊び」を発展させてきたにちがいありません。

 時は、原始時代。<ある若者が貝殻に石を入れて振るといい音がすることに気付きます。それを関心のある女の子に披露したところ、彼女が喜んでくれました。やがて二人は親密になり生活を共にします。できた赤ん坊に、その貝殻を握らせたら、“きゃっきゃ”と喜びました。それがガラガラの始まり>。こういった感じではないでしょうか。

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 次に、遊びと関係が深い「学習」や「仕事」といったものから、「遊び」について考察していきたいと思います。

 遊び、学習、仕事。この三つは、人々の「生活」や「人生」において、大きなウエイトを占めています。なお、この3つは性質が似ています。時に遊びが仕事に変わり、仕事が遊びになることからも、それは明らかです。

 ただ、違いもあります。例えば、遊んでいても賃金はもらえませんが、仕事をするとお金がもらえます。だから、美輪明宏さんなんかは、「お給料はガマン代だと思いなさい」といっています。

 すると、仕事から「賃金」と「ガマン」を引いたものが遊びといえるかもしれません。

 では「遊び」と「学習」の違いは何でしょう。これも簡単に違いを示すことはできません。ただ、学習は得てして、遊びより「努力」を伴います。受験生に「勉強なんて遊びだよ」といったら、叱られます。そう考えるとやはり、学習から「努力」を引いたものが、おおよそ遊びなのではないでしょうか。

 以上、無理やり、関係式を作ってみましたが、いずれにせよ、仕事や学習の根幹には、「遊び」があることが分かります。また先ほど、「生活」や「人生」において、遊びや学習、仕事といったものが、大きなウエイトを占めていると述べました。すると、「人生の根幹は遊びである」ともいえそうです。

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 釣りは、「フナに始まり、フナに終わる」といいます。人生も「遊びに始まり、遊びに終わる」のかもしれません。人生、楽しめる時に楽しみたい、そう思っております。

令和2年10月9日
院長 松本康宏