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2024/01/25

岡山への旅ーその2

 みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

 

 今回は『岡山への旅-その2』です。

 

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 『青春18きっぷ』で大阪から大分まで旅をしたことがあります。二十歳(はたち)のときでした。その際、私は、車窓から海岸線を凝視していました。

 

 「昔はねぇ。瀬戸内を旅すると絶景でしたよ」「塩田が拡がっていてね、それはそれは綺麗でした」。こういう話を年配者から聞いていたため、一目、塩田を見たかったのです。でも見つけることはできませんでした。私が旅をした頃にはすでに瀬戸内の塩田は消失していたようです。

 

 日本はこの50年でずいぶん地域の色彩を失いました。しかし、かろうじて昔の趣を残している街もあります。その代表が「城のある街」です。

 

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 岡山には立派な城があります。別名、烏城(うじょう:カラスの城)と呼ばれる、岡山城です。ではなぜ烏城と呼ばれるのか。それは外壁がカラスのように黒いからです。私は白い城より黒い城の方が好きです。ちなみに豊臣時代は黒の外壁が多く、徳川時代は白が多くなっています。これは塗料が改良されたからです。黒い城の代表が熊本城や松本城なら、白い城の代表が姫路城。

 

 また、岡山城は極めて形の良い城です(と私は思います)。しかも日本三大庭園、後楽園まで付随しています。

 

 岡山城が烏城(うじょう)と呼ばれるのに対し、広島城は鯉城(りじょう:コイの城)と呼ばれます。元々広島は「己斐(こい)」という地名でした。神功皇后が来られた際に、鯉を献上したというのが地名の由来です。広島カープという名称も、元を辿れば、このできごとから来ているというわけです。

 

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 岡山城と広島城。どちらが見ごたえのある城かというと、私は岡山城だと思います。でも以下の話を加味すると甲乙つけることができません。

 

 あまり知られていない話ですが、広島は一時、首都の機能を担っていました。日清戦争のときです。その際には、明治天皇が広島城に移り、指揮を執られました。国会も広島城で開かれています。

 

 では、なぜ広島が選ばれたかというと、それは、鉄道の終着駅が広島にあったからです。広島はその後、「軍都」として発展していきますが、もし当時、岡山が終着駅だったとしたら、岡山が日本の軍都になっていたかもしれません。すると広島に代わって原爆が落とされた可能性も出てくるのです。そんなことを考えていると、なんとも憂鬱で複雑な気になります。でも、こういった苦い歴史と向き合う旅があってもよいでしょう。広島はそういう場所でもあるのです。

 

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 最後にもう一つお城を紹介させてください。

 

 私は以前、広島に行ったついでに船に乗り、愛媛県、松山城を訪ねたことがあります。この城もすごくいい城でした。私が行ったことのある城のなかでベスト3に入ります。

 

 岡山城、広島城、松山城、いずれも外れはありません。時間に余裕があれば、三つの城を巡ってみてはいかがでしょう。

 

 次回は岡山城の城主、宇喜多秀家(うきたひでいえ)について書こうと思います。引き続きご愛読いただければ幸いです。

 

令和6年1月25日

院長 松本康宏

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