2024/11/06
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京都物語ーその3
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
京都の三大祭りといえば、葵祭、祇園祭り、時代祭りです。
葵祭は1400年ほどの歴史を持ちます。これを仕切ってきたのが『京都物語―その1』で記した賀茂一族です。平安貴族の装束で500名を超える人たちが、御所から下鴨神社を経由して上賀茂神社まで歩きます。
三大祭りのなかで最も大きいのが祇園祭です。クリスマスイブと同じで、本祭より前夜祭(宵山:よいやま)の方が盛り上がります。真夏の京都、四条に大勢の人が押し寄せ熱気に包まれます。しかし、一人で行くのは、やめておいた方がいいでしょう。この祭りは、友人や恋人と行くべきです。私は浪人中一人で出かけ、寂しい思いをした記憶があります。
『南極物語』という映画をご存じでしょうか。昔、大ヒットした映画です。私も中学時代、鑑賞しました。主人公は、南極隊員の高倉健と渡瀬恒彦です。渡瀬は京都大学の研究員でした。恋人の夏目雅子と祇園祭を鑑賞します。恋人を置いて南極に行くか迷う渡瀬。悩ましいというより、羨ましいシチュエーションです。「自分も頑張って京都大学に行こうかなぁ」。一瞬そう思いましたが、結局、思っただけで終わりました。
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現在、京都で一番人が集まる場所は四条通と河原町通りの交差点、四条河原町です。
京都を観光する場合、時間がなければ、次のようなコースがお薦めです。四条河原町から四条大橋を渡って、八坂神社に向かいます。その後、法観寺(八坂の塔)を通って、三年坂を上り、清水寺へ。半日で回れるコースです。
では、数日滞在できるとすれば、どこに行けばよいでしょう。比叡山、鞍馬寺、宇治、伏見、大原、いずれも捨てがたい場所です。そのため、人物で決めるという方法もあります。義経が好きなら鞍馬寺。龍馬に関心があれば伏見の寺田屋。そういった選択の仕方です。
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京都が他の街と違うところは、いにしえの光景が頭に浮かんでくることです。特に夜一人で歩いていると、そうなります。
五条大橋。義経と弁慶が出会った場所です(正確にいうと、当時と橋の場所は変わっています)。空海が日本史上、最も頭のいい人物なら、義経は日本史上、最も優れた軍略家。絶対に勝てないと思われた戦いに三連勝しました。一方、義経は悲劇のヒーローでもあります。司馬遼太郎は義経のことを日本初の“アイドル”と評しました。「判官びいき」という言葉も義経から生まれています。
戦(いくさ)には強かった義経ですが、政治的なセンスはなく、兄頼朝と仲たがいします。兄から命を狙われた義経。東北の藤原氏を頼ります。頼朝のいる関東を避け、京から北陸路を進みました。石川県にあった「安宅の関(あたかのせき)」、歌舞伎の演目「勧進帳」。話はこうです。
京から東北に逃げるため、弁慶は山伏(やまぶし)に、義経は荷物運びに扮します。安宅の関でのできごと。役人富樫が二人を呼び止め尋問します。「よもや義経一味ではあるまいな」。弁慶は機転を利かし、金剛棒で義経を殴りつけます。「おまえのせいで疑われてしまったではないか」。それを見て富樫は思います。まさか部下の弁慶が義経にそんな扱いはしないだろう。
結果、義経たちは無事、関を通過することができました。しかし、日本人ならここで一つの疑念が沸いてきます。<役人の富樫は、義経たちを気の毒に思い、わざと取り逃したのではないか>とした疑念です。
大学時代、こんなことがありました。教授が「追試の出題範囲を教えるので部屋に来い」というのです。約束の時間に行くと、教授がいません。キョロキョロしていると、隣の棚にテストらしき用紙が置かれています。「これ試験問題じゃないかな」。持ち帰りこそしなかったものの、私は目を通しました。
試験本番、その問題が出ます。「安宅の関」の話を聞く度にその出来事を思い出し、一つの疑念が湧いてきます。あれは、わざと、教授が置いておいたのではないかとした疑念です(続く)。
令和6年11月6日
院長 松本康宏