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2025/11/14

竹の人生

 みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

 

 来年、サグラダ・ファミリアが完成するそうです。サグラダ・ファミリアといえば、建築家アントニ・ガウディ。彼は自分と他者の“時間”を連続して捉えていました。ガウディが亡くなったのは1926年、73歳のときです。継承の概念がなければ、サグラダ・ファミリアなど作ろうとするはずがありません。自分が生きているあいだに完成するような代物ではないからです。「自分が亡くなっても、誰かが完成させてくれるにちがいない」。ガウディはそう考えていたはずです。

 

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 時間感覚とは不思議なものです。そのため、脳科学や心理学など色んな領域で研究が行われています。しかし、未だに解明されていません。とはいえ、時間感覚にはいくつか法則があることはみなさんもご承知でしょう。

 

 その1つが、歳をとるに従って、時が経つのを早く感じるようになること。その理由についてはいくつか説があります。有名なのがジャネーの法則。5歳の1年は人生の5分の1、50歳の1年は人生の50分の1。だから、そういった割合の差によって1年の感じ方が違ってくるという説です。

 

 時間に関する法則、その2は、楽しい時間は早く過ぎるのに、楽しくない時間は長く感じるというものです。例えば、好きな人といる時間はあっというまに過ぎますが、嫌な授業はなかなか終わりません。加えて不思議なのは、短く感じた楽しい時間の方が“長く”記憶に残っていることです。

 

 このように時間感覚には規則性があります。では、私の場合はというと、1年が一瞬で過ぎます。感覚的には1秒です。その上、なぜか何も記憶に残っていません。院長になってからの9年、ほとんど何も覚えていないのです。これは、「人生」という観点からみて、“やばい”のではないでしょうか?我ながら心配です。しかし、周りを見渡すと、実は私のような人は多いように思います。気付いたら50代、60代になっていた。別にさぼっていたわけではない。その都度、それなりに問題と向き合ってきた。でも、気が付いたらいつのまにか歳をとっていたという人です。

 

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 そこで今回、こういった人の「人生」を検証してみたいと思います。

 

 人生を<松竹梅>に分けたとします。あくまで仮定の話です。何をもって<松竹梅>とするかは、色んな考えがありますが、一応、次のようにしておきます。

 

 松の人生→楽しい思い出(記憶)がたくさんある人生。竹の人生→楽しい思い出(記憶)はあまりないけど、自分なりに頑張った人生、つまり退屈ではなかった人生。梅の人生→退屈だった人生。

 

 すると、先程のようなタイプの人(私を含む)の人生は、「竹」に分類されます。「松の人生」には劣っているけど、梅よりはましということです。

 

 でも、ここで反証です。冒頭のガウディを思い出してください。ガウディの人生だっておそらく「竹の人生」です。とはいえ、ガウディは幸せだったに違いありません。なぜなら、自分の時間を他者との連続で考えていたからです。

 

 先に提示した<松竹梅>の捉え方には、「継承」や「連続性」といった観点が抜けています。人生や時間について考えるとき、この観点は重要です。これを忘れてはなりません。

 

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 究極的にいうと、一瞬で過ぎようが、楽しいことがあろうがなかろうが、記憶には何も残っていなかろうが、<人生、やるだけやって次世代にバトンタッチすればいい>とも考えられるのではないでしょうか。さらにいうと、「自分がいるうちに、あわよくば自分が所属している場所が少しでもよくなればいいなぁ」くらいに思っておけば充分な気がします。

 

 といったことで、やや強引ではありますが、「竹の人生」もよしとしましょう。そう考えて前を向いて歩んでいきたいと思います。

 

令和7年11月14日

院長 松本康宏

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