2022/04/08

変化を受け入れる

 みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

 先日、Eテレで『知恵泉』を観ていると、「弥生時代」が取り上げられていました。

 弥生時代というと、生活様式が狩猟採集から農耕に移り変わった、「激変の時代」です。変化は食事の内容に留まりません。農耕の始まりは、貧富を生み、国が誕生するきっかけとなりました。

 家庭菜園をやったことがある人なら分かると思います。「耕地を拡げて、収穫を増やそう」、人間にはそういう欲があります。しかもコメは保存が可能。その結果、持つものと持たざる者が生まれ、集落と集落の間にも貧富の差が生まれます。集落は時に争い、時に協調して、統合されていきます。それが国の始まりです。

 日本に稲作が伝わったのは、これまで考えられていたより、ずっと前です。稲作は700年位かけて日本中(北海道を除く)に拡がりました。ちなみに東北より関東に伝わる方が遅かったとされています。なお渡来人が、縄文人を押しのけて、稲作の範囲を拡げていったかというと、そうではありません。多くは縄文人が稲作を取り入れることで、耕作地が拡がっていきました。

 主に台地で生活をしていた縄文人。彼らはそこから、どんな思いで、稲作をしている人々を眺めていたのでしょう。

 稲作を取り入れた際にも、複雑な思いを抱いたはずです。「生活は豊かになった」「でも、貧富が生じ、争いごとが増えた」「これでいいのだろうか」「昔はのどかだった」「あの頃に戻りたい」。

 30年前の精神科病院は、のどかでした。若い患者さんが多く、散歩をしたり、レクリエーションをしたり、そういったことをして過ごしていました。一方で患者さんの権利(健康で文化的な生活を営む権利)は制限されていました。仮に退院したとしても、アパートで一人、テレビを観るだけ、そういう状況に置かれる人が多かったのです。

 先月、次のような記事が新聞に載っていました。それは、厚労省が医療保護入院の廃止も視野に、強制入院を減らしていく、そういった内容でした。精神障害者を地域でみていくための取り組みは、本来、国が主体となってやるべきことです。それがなぜか、うまく進まないと、精神科の病院のせいになってしまいます。ぜひ、国には上の問題に本腰を入れて取り組んで欲しいと思います。

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 変革期にノスタルジアを抱くのは、古代人も現代人も同じです。一方、変化を受け入れることで、世の中が少しずつ良くなってきたのも事実です。稲作が始まり、弥生時代の人口は縄文時代の3倍になりました。精神障害者を取り巻く環境も進化しています。デイケア、訪問看護、支援施設、そういったものを利用することで、健康で文化的な生活が行いやすくなっています。

 ノスタルジアを抱きながらも前に向かって進んでいく、それが人類の特徴なのでしょう。

令和4年4月8日
院長 松本康宏

追伸:4月26日、当院で『当事者の声を聴く会』(15時~)を開催いたします。どなたでも参加可能です。ぜひ皆様、お越し下さい。