みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
今月、当院でコロナのクラスターが発生し、多くの方々にご迷惑をおかけいたしました。この場をお借りしてお詫び申し上げます。なお、幸いにもクラスターは速やかに収束しております。引き続き、当院をご愛顧頂きますようお願い申し上げます。
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失礼な話ではありますが、あまりにもたくさんの方を診ていると、段々人への関心が薄れてくることがあります。そんなときには、もう一度、カルテを見るようにしています。人に関心を持つには、その人の歴史を知ることです。「80歳女性、アルツハイマー型認知症、アリセプト服用中」だけでは関心を持つことができません。生活歴を知って、「この人は、昔、気仙沼の缶詰工場に勤めていたんだ」とか「若い頃に夫を亡くし、3人の子どもを一人で育てたんだ」と思うと、がぜん見方が変わってきます。
また、こういったことは、人物に限った話ではありません。自分の勤めている会社や自分の郷里、あるいは地元に昔からある建造物にもあてはまることです。だから、周囲に対する関心が薄れてきた時には、身近なモノの歴史を調べてみると良いでしょう。
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先日、秋田城に行ってきました。公園内に連絡橋が作られたと聞いたからです。この橋は旧国道に架かるもので、できたことにより、秋田城の敷地の広さを実感しやすくなっています。
久々に秋田城に行ってみると、少し雰囲気が変わっていました。秋田城の古代水洗トイレが『ブラタモリ』で取り上げられたことを示す看板が設置されていたり、来場者に親しんでもらうために、『秋麻呂くん』というキャラクターが作られたりしていました。
秋田城の古代トイレは、単に衛生的に優れていただけではありません。大陸と交流していたことが判る重要な場所です。トイレからは豚肉を食す人にしか認められない寄生虫の卵が出てきました。当時の日本人は豚を食べません。そのため、豚の飼育が盛んだった渤海国(ぼっかいこく)から、人が来ていたと考えられているのです。
一方、『秋麻呂くん』は京からやってきたようです。名前は、秋田の「秋」と平安時代によく用いられた「麻呂(まろ)」をくっつけたもの。ちなみに“まろ”は“まる”から派生した名詞です。奈良時代、“まる”は体の中のものを排出するという動詞でした。古今東西、うん〇に対する人々の思いは複雑です。当時、「鬼物も恐れるもの」、そう思われました。つまり魔除け。だから人や船の名前に“麻呂”や“丸”がつけられたのです。ついでながら、赤ちゃんの排泄トレーニングに使われる“おまる”も、その名残です。
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そもそも秋田城は不思議な城です。「秋田」という名を冠していながら、久保田城より知られていません。世の中には、千秋公園にある久保田城を秋田城と勘違いしている人もいます。私も秋田に来た当初(30年以上前)は、そう思い込んでいました。しばらくして、本物の?秋田城があると聞いて、驚いた次第です。
一般の人にとって城といえば、「石垣があって天守閣が存在する」そんなイメージだと思います。でも、その2つがそろっている城はほとんどありません。例えば、久保田城は土塁の城です(だからこの時期、土塁に咲くツツジが壮麗)。では、秋田城はというと、この城は奈良時代のものですから、当然石垣も天守閣もありません。それ故、歴史の愛好家でもなければ、期待外れの城と思うことでしょう。
しかし、考えようによっては、秋田城ほど「空想」が拡がる所はありません。なぜなら、この城が別の場所にできていれば、私たちは秋田市に住んでいなかった可能性が高いからです。つまり、それだけゆかりの深い城なのです。次回はそのことについて、もう少しご説明したいと思います(続く)。
令和4年5月23日
院長 松本康宏