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2024/10/25

京都物語ーその1

 みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

 

 以前、旅行について書いた際、岡山にするか京都にするかで迷いました。その際は、岡山を選んだのですが、今回は京都について書こうと思います。

 

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 患者さんを知る上で、医学的データは欠かせません。でも本当に理解しようとすれば、患者さん自身の「物語」を知ることが大事です。その子にとってどういう親だったのか、病になって人生がどのように変わったのか、そして何を失ったのか・・・こういった視点は欠かせないように思います。

 

 地域や土地についても同じです。京都市の人口は約150万人。碁盤目状の街で、四条河原町が一番にぎわっています。794年、桓武天皇が、長岡から京都に都を移しました。こういった情報は旅をする上でも役立ちます。しかし、本当にその地域のことを理解しようとすれば、その土地で生きてきた人々の「物語」を学ぶ必要があるでしょう。

 

 そこで今回私は、京都の「物語」を書いてみようと思いました。

 

 京都好きのオジサンによる単なる「一人語り」。そう言われればそれまでですが、京都の魅力を少しでもお伝えできれば幸いです。

 

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 京都盆地は、平安京が作られるまで、「開拓地」といったかんじでした。そのため、渡来人に分け与えられることが多かったようです。渡来人の代表といえば、秦氏や賀茂氏が挙げられます。ちなみに秦氏は、秦(シン)帝国の末裔を名乗る人たちです。当時、渡来人は差別も受けたかもしれませんが、リスペクトもされていたはずです。なぜなら、特殊な技能を持つ人たちが多かったからです。秦氏は、機(ハタ)織りの技術を有していました。

 

 若干話が脱線しますが、徳川家康の祖先は源氏ではなく、賀茂氏であったという説が有力です。秀吉が関白になって国を統治したのに対し、家康は征夷大将軍となって幕府を創設する道を選びました。源氏でなければ、征夷大将軍にはなれない、というのが日本の不文律です。そこで家康は先祖の系譜を書き換え、源氏を名乗ったというわけです。

 

 渡来人に話を戻します。日本に渡ってきた秦一族は、京都の嵐山のあたりを開拓したとされています。嵐山の近くに太秦(うずまさ)という場所があります。映画村で有名なところです。ここも秦氏と関係しているようです。

 

 一方、賀茂氏は、上賀茂神社のあたりを開拓しました。私は高校卒業後、上賀茂神社の近くにあった『樫の実学園』という予備校に通っていました。予備校に行くために借りていた部屋は、狭くておんぼろでしたが、場所的には恵まれていました。ときどき撮影が行われるような風情ある場所だったのです。

 

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 京都には、立派な植物園があります。上賀茂神社の近くにある京都府立植物園です。このあたりを開拓したのも賀茂氏です。

 

 子どもの頃、祖母がこの近くに住んでいたため、家族とよくこの植物園に出かけました。観光地としてはあまり知られていませんが、川端康成の『古都』や綿矢りさの『手のひらの京(みやこ)』にも出てくる素敵な場所です。

 

 京都を旅する上で、季節を意識しておくことは大事です。金閣寺を例にとっても、真夏の金閣と雪が積もった金閣では趣が異なります。仮に京都の植物園に行くとすれば、私は秋をお薦めしたいと思います(続く)。

 

令和6年10月25日

院長 松本康宏

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