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2025/01/17

枠にとらわれない生き方

 みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

 

 受験シーズンが到来しました。受験生は、体調に気を付けて、本番で力を出し切って欲しいと思います。

 

 一方、私は「偏差値主義」に否定的な考えを持っています。偏差値主義に毒されて、自分の人生を決めつけてしまっている人があまりにも多いからです。MARCH(明治・青山・立教・中央・法政)の出身だから、だいたいこういった人生。日東駒専だとこんなかんじ、といったふうに・・・。でも、こんなバカな話はありません。本来、大学とは自分の可能性を広げるために行くところです。それが逆に、大学に行くことで自分の可能性を狭める思考に陥っているからです。

 

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 中学時代、面白い友人がいました。彼は中学を卒業すると色んなイベントを企画しだします。あるときは、高校の仲間たちと自転車に乗ってソウルを目指しました。背中にはみんな『ポカリスエット』のゼッケンをつけています。スポンサーを見つけた彼もすごいし、また、スポンサーを引き受けた大塚製薬もすごいと思います。

 

 私は彼からこういった話を聞く度に、羨ましく感じていました。彼は大学には進学していませんが、今もきっと枠にとらわれず、自由で楽しい生活を送っていると思います。

 

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 4月13日より大阪万博が開催されます。

 

 日本で開かれる万博は、今回20年ぶり(前回愛知万博)。大阪で開催される大規模な万博としては55年ぶりです。前回の大阪万博は、1970年に開催されました。総入場者数6240万人、一日の最大入場者数82万人。今の時代、ちょっと考えらえない数字です。では誰がこのビッグプロジェクトを企画したかというと、それは、(世俗的な意味で)偉くはない人物でした。

 

 その人物とは、後に作家として名を馳せる堺屋太一さんです。堺屋さんは、1970年当時、若手の通産官僚でした。役職は係長。その彼が一人で熱狂し、周囲に万博の必要性を説いて回ります。

 

 なお堺屋さんは、万博を企画するにあたって、石田三成の手法をまねたそうです。三成は、ご存じのように“関ヶ原の戦い”で西軍をプロデュースした人物。では、どうして三成をまねたかというと、それは三成が実力者でも権威者でもなかったからです。堺屋さんは考えました。「三成だって西軍をプロデュースできた」「自分だって万博を開けるかもしれない」。

 

 たしかに、三成は地位も実力も家康と違いすぎました。家康が五大老の筆頭で250万石の主なのに対し、三成は五奉行の4番目で19万石。普通なら、「かないっこない」と考えます。でも、三成は違いました。「なんとかなる」「なんとかしなければ」と考えたのです。

 

 構想力に長けた三成は、まず大義名分を掲げます。「豊臣家のため」という名分でした。次に、宇喜田秀家をスポンサーに据えます。加えて、毛利輝元を総大将に担ぎました。また、それと同時に自分の財産を投げうって、味方を増やしていきます。その結果、東軍と西軍、どちらが勝ってもおかしくない状況となりました。

 

 堺屋さんは、万博(1970年)の機運を高めるため、自腹でパンフレットを作ります。かかった費用は400万円。今の金額だと3000万円くらいです。頭のなかには、全財産を投げうった三成の姿が浮かんでいたに違いありません。

 

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 三成や堺屋さんはエリートといえばエリートです。ただ、「自分は19万石」「自分は係長」と考えていたら、関ケ原や万博はなかったことでしょう。

 

 ルールという枠を守る必要はありますが、自分で作った枠に自分を閉じ込める必要はありません。彼らのように、枠にとらわれない生き方をしたいものです。

 

令和7年1月17日

院長 松本康宏

 

追記:3月に『当事者の声を聴く会』を開催いたします。今回が最終回です。多くの方々のご参加を心よりお待ちしています。

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