2025/03/07
人と地域を
もっと健康に

情報過多の時代
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
最近、映画を観ていると“せりふ”が多いのが気になります。ないよりはあった方がいいと思いますが、多過ぎると“げんなり”します。それはどうしてでしょう。それはせっかく俳優の演技を観にきているのに説明を受けているような気になるからだと思います。
私の好きな映画の一つに『たそがれ清兵衛』という作品があります。そのなかに映画史に残る名場面があります。清兵衛(真田広之)が朋江(宮沢りえ)に思いを伝えるシーンです。そのシーンで交わされる言葉はふたことみこと。しかし、俳優の仕草や表情から両者の気持ちが痛いほど伝わってきます。これこそまさに“ドラマ”ではないでしょうか。
私はかねてから、強い思いは言葉にならないと考えてきました。 “関ヶ原”の戦い。ご存じのとおり東軍の勝利に終わります。三成は戦いに敗れ、家康の前に連れてこられました。にらみ合った二人、その間約10分。ともに一言も発しなかったといわれています。究極の会話とは言葉のない会話なのかもしれません。
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最近、人々の話すスピードが速くなっているように感じます。将棋を指すように、間をあけて一言ひとこと言葉を交わすことがなくなりました。早く話すことでたくさん情報を伝えることはできますが、その分、思考を深める時間は失われています。果たしてどちらがよかったのでしょう。
また昔と比べてみんな話しをするのがうまくなっているように思います。政治家なんかはその典型です。かつてはア~とかウ~とか発するだけで通用していた時代がありました。今だとテレビで笑いものにされるでしょう。とはいえ、話すのがうまくなったからといって昔と比べて政治の質が上がったとは思えません。であれば、いったい何のためにうまくなったのでしょうか。
昨今、文字も過剰です。あちこちからメールが届き、スマホにはあふれんばかりの記事が載っています。しかしながら、気持ちが揺さぶられるような文章には滅多にお目にかかりません。
そういった文章に出会わないのは、読み手の方にも問題があるのでしょう。手紙だとじっくり目を通しても、メールだと斜め読み。大切な本だと行間を読み取ろうとしますが、スマホだとチラ見や拾い読み。気持ちが揺さぶられないのは、こういった読み方にも原因があるのだと思います。
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スマホが普及してから情報過多に拍車がかかりました。私もしょっちゅうスマホを開いています。気になったサイトからすぐまた別のサイトへ。しばらくそんなことを繰り返し、気付けば、あっという間に時間が経過。しかし、頭に何も残っていません。「どうしたものか」と、都度ため息をついています。
あくまで私の仮説ですが、処理する情報が多すぎると、脳は疲れを減らすために少し覚醒度を下げるのではないでしょうか。すると、物事を深く考えられなくなったり、自分の本当の気持ちに気付かなかったり、大切なものを見落としてしまう危険性がでてきます。
情報の量はやはり “ほどほど”がいいのでしょう。
情報過多の時代。巷で云われている“デジタルデトックス”に加え、言葉や文章を味わう、瞑想する時間を確保する、そういった工夫が求められているのだと思います。
令和7年3月7日
院長 松本康宏