2022/01/17

中年危機

 みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

 今回は「中年危機(ミッドライフ・クライシス)」について考えてみます。参考にする映画は、『ジョーカー』(2019)『ロッキー・ザ・ファイナル』(2006)『ダークナイト』(2008)、この3つ。

 まず初めに『ジョーカー』(2019)から。これは、バッドマンシリーズに出てくるジョーカーの誕生秘話。あらすじは、こうです。主人公のアーサーは、母の介護をしながら、つつましく生活を送っている中年男性。緊張すると笑ってしまうという障害も抱えています。ある時その彼が、理不尽に耐えかねて、殺人を犯してしまいます。タガが外れたアーサー。もう元には戻れません。虐待によって受けた障害、貧困、裏切り・・・。こういった不条理が、アーサーをジョーカーに変えさせたのでした。

 この映画は、評論家から高く評価されています。しかし観ていて不快な気分になりました。

 その点、『ロッキー・ザ・ファイナル』(2006)は、違います。観れば必ず元気が出ます。ストーリーはこうです。もうすぐ初老期を迎えようかというロッキー。妻を亡くし、寂寥感が漂っています。雰囲気からすると、ちょっとした「中年危機」とも言えそうです。その彼が、あるきっかけから、現役チャンピオンと試合をすることに・・・。ロッキーは語ります。「挑戦しないより、醜態をさらしても挑戦した方がいい」。ロッキーにあるのは、「完全燃焼したい」という思いだけ。すでに勝ち負けを超越しています。試合後、判定結果も聞かずに引き上げていく姿は、観ていて爽快。中年になった自分も、スケールこそ違え、何かをやってみたいという気持ちになります。

 中年期、多くの人が自分の人生を振り返りがちです。なかには、アイデンティティが強く振動し、態度や行動が極端に振れていく人がいます。気難しさが増し、孤立していく人。人生を前向きに捉えて、挑戦を続ける人。ジョーカーとロッキーは、(極端な形で)両者を象徴しています。

 三番目の『ダークナイト』は、バッドマン(正義)とジョーカー(悪)の戦い。本来であれば、正義が勝ちそうなものですが、この映画は違っています。バッドマンはどうやってもジョーカーには勝てません。なぜならジョーカーを殺してしまうと、今度はバッドマン(正義)の方が殺人者(悪)になってしまうからです。

 映画には、バッドマンとジョーカー以外に、もう一人、「鍵」となる人物がでてきます。悪を摘発し、市民から絶大な人気を得ている地方検事です。その彼が、いとも簡単に殺人者に変貌してしまいます。これは善と悪が紙一重であることを示しています。

 昨年末、大阪で悲惨な事件が起こりました。放火による火災で25名の方が亡くなった事件です。犯人は、まさに「ジョーカー(悪)」そのもの。しかし、この犯人も、かつては真面目に仕事をし、家族と暮らしていた時期があったと聞きます。すなわち犯人は、その後の過程で、深刻な「中年危機」に陥ったのでしょう。

 なお犯人は「死ぬときくらいは目立ちたい」という言葉を検索していたようです。これは一見、ロッキーが語った言葉、「醜態をさらしても挑戦した方がいい」と似ています。しかし、「中年危機」を脱するために、それぞれが取った行動は、全く違うものでした。ではどうしてそのような違いが生じたのか。それはやはり、心の中に大切な人がいたかどうかの違いだと思います。

 中年危機を乗り越えて、周囲に感動すら与えたロッキー。かたや、怒りの矛先を社会に向けて狂気に走った犯人。どちらがいいかはいうまでもありません。

 なにがあってもジョーカーになりたくない、どんなことがあってもジョーカーになって欲しくない。そう思います。

令和4年1月17日
院長 松本康宏